2007年山田錦栽培スタート

塩水選後の種籾一枚一枚丁寧に作業していきます

福岡県朝倉市秋月にて2007年の山田錦栽培がスタートしました。本日5月27日は、種まき。事前に塩水選をおえて選別しておいた種籾を培土に種まきします。この山田錦の様子は随時お伝えしていきます。

本年は、福岡県朝倉市秋月と小郡市干潟営農集団の二箇所で山田の栽培をします。

山田錦は粗く(薄く)まきます山崎徳松氏と長男、次男

酔粋塾(すいすいじゅく)100回目

福岡市博多区中洲にて毎月日本酒の会をされている方々がおられます。塾長の梶原さんは地元百貨店の出身で日本酒に対する情熱は熱いものがあり、20名強の会員に毎月声をかけ、会の運営から日本酒の手配までいままで一回もさぼることなくやり続け、今回はなんと100回目。本当に頭が下がります。
塾長の梶原さん(左)と私久々登場した面々も

私も、唯一の蔵元会員ということで今回は招待され、中には久々お会いする方々も。こんな日本酒を愛する方々にかこまれ、10種類のきき酒は時間切れで、4種類は101回目に持ち越されました。「また来月会いましょう」8年以上こんな感じです。

あまざけ

「こんなに暑けりゃ甘酒でも飲まねぇとやってられねぇ~よ」
とは江戸の庶民の言葉。甘酒は滋養に良い栄養たっぷりの醗酵食品。俳句の世界でも夏の季語として用いられます。酒粕をお湯に溶いて造る甘酒もありますが、きちんと麹(こうじ)と米から造りそれ以外の添加物が一切入っていないものが本物の甘酒だと当社は考えます。

江戸時代に確立された麹を造る技術。味噌や醤油などにも使われ、麹によって日本食は多様な食文化を育めたともいえます。しかし酒造りにおいて製麹(せいぎく。麹をつくること)は大変繊細で難しい工程であり、それでいて酒質を決めるもっとも重要な要素とされるため夜中何度も起きて番をする杜氏も多い。

甘酒とはそんな麹を原料の50%も使用する贅沢な「東洋のヨーグルト」(当社製法)。アルコール分ゼロの「お米のジュース」である。日本酒の麹ほど気を使わないが、麹の出来如何で味はかなり違ってくる。

babyhand造るのはnipponのこころです・・・

美味しい甘酒は我々の願いでもあります .

筑後の土蔵 のご紹介⑦

円熟期(1998-2001)

98年から01年にかけては、全国各地から多方面でご活躍中の多くの作家の方、芸術関係の先生をお招きし、より洗練された展示を行う一方、酒の提案においても新分野に取組むなどして来場するお客さんに喜んでもらえるよう充実した時期でもあった。

1998年 第12回「筑後の土蔵」展
コスモスが大変きれいに咲き乱れた98年は全国からNHKテレビでご活躍中の斉藤禮先生、真木雅子先生、真木千秋先生の作品展示と販売を、また第三会場では粕川雅子コレクションを初展示、からくり人形展を開催した。
 お酒においては、大吟醸を7年寝かせた熟成大吟醸をはじめ、全国鑑評会で入賞した吟醸酒、甘口酒の提案や定番のしぼりたて原酒、などなど幅広い日本酒の提案を行った。
真木雅子先生のシルクからくり人形展真木雅子先生作品斉藤禮先生の作品

●NHKテレビ出演指導者の先生による作品展示と販売
  斉藤禮、真木雅子、真木千秋
●歌舞伎衣裳展、からくり人形展(粕川雅子コレクション)
●藍工房新作パッチワーク展

1999年 第13回「筑後の土蔵」展

中山冨美子先生のモラ東郷青児作品  99年は前年に引き続きNHKで教えておられる中山冨美子先生にお越しいただき作品展示と販売を、第一会場では、TAKAコレクション初公開として、東郷青児、岡本太郎、斉藤三郎などの絵画50点を展示した。藍工房の新作パッチワーク展も好評。この年に、「恐らく日本国唯一」でおなじみの樽酎を紹介する。

樽酎は、25度の和水した状態でバージン樽に一度だけ寝かせた麦焼酎。限定600本。
麦焼酎の製造は、関係会社の研醸株式会社(www.e-kenjou.com

●東郷青児、岡本太郎、斉藤三郎ら絵画展(TAKAコレクション)
●NHKテレビ出演指導者の先生による作品展示と販売
●藍工房新作パッチワーク展

 

筑後の土蔵 のご紹介⑥

1996年10月 第10回「筑後の土蔵」展

ミャオ族の婚礼衣裳96年はコレクターの武本氏のコレクションを当蔵で初公開し、ミャンマーのミャオ族の民族衣装や婚礼衣装展というめずらしい個展を開催した。素朴ながら手の込んだ豪華な婚礼衣装は、恒例の山口怜子パッチワーワーク新作展と交じり合い、蔵をにぎあわせた。また、山口酒造に残る調度品から、戦国武将の鎧など、大きな展示物を飾った。

●ミャオ族の婚礼衣装展(武本耕一コレクション)
●山口酒造の調度品展示
●藍工房の新作パッチワーク展

1997年10月 第11回「筑後の土蔵」展

ステンドグラスこの年は、洋陽コレクションの協力を得て、英国王室のダイアナ妃の実家(スペンサー家)の大ステンドクラスを展示。また、アンティークステンドグラスを50点展示し、観光客を喜ばせた。また、亮コレクションからは、珍しい布を500点展示していただき、パッチワークファンには見ごたえのある展示となった。
また、10月限定のお酒も好評いただき、蔵元の熟成したお酒の提案も徐々に受け入れられていき、人気のしぼりたて生原酒が限定品になったのはこの年から。

●アンティークステンドクラス50点(洋陽コレクション)
●スペンサー卿(故ダイアナ妃生家)の大ステンドグラス
●和・漢・洋 珍裂500点(亮コレクション)
●藍工房新作パッチワーク展示

 展示されたパッチワーク作品

 

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筑後の土蔵 のご紹介⑤

1995年 第9回「筑後の土蔵」展

●昭和のおもちゃ展(岩下コレクション初公開)
岩下コレクションより岩下コレクション岩下氏は、宝珠山を本拠地にし(現在は大分県湯布院町)、世界的に有名なバイクのコレクターで東京ドームで個展もされる。岩下氏はおもちゃのコレクターでもあり当蔵で初公開個展を開催していただいた

 

●金子義郎の絵画展
干支ラベル干支ラベル丑年金子先生の作品歯科医師が本業であるが当社からの個展の依頼に快諾していただいた。先生の絵画は独特の画風で、迫力があるなかにもどこか愛らしさがあり、時間をかけて観ていたい作品ばかり。
そして、なんと、この個展がきっかけになり、翌年は、アメリカのボストン美術館が金子先生の絵画を買い入れることになった。2006年まで12年続いた正月のお酒「干支ラベル」シリーズのラベルは金子先生が十二支を描いたもの(現在は終売)。

●山口酒造の調度品「焼物」展示、藍工房新作パッチワーク展示
昨年の漆器に続き、第9回は蔵元が大好きな「焼物」を展示。また、人気のパッチワークは今年一年に制作したパッチワーク作品を展示し人気を集めた。

 

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筑後の土蔵 のご紹介④

原点回帰(1994-1997)

1994年10月
壊れた土蔵はギャラリーに生まれ変わったnipponの逸品を酒蔵から発信する。「筑後の土蔵」の原点を見つめ、あたらしくなった酒蔵からあたらしい発信を!蔵開きは蔵元と女将の新たな願いを込めて10月に開催することになった。また、台風のお陰で「土蔵ギャラリー」も誕生した。
 

漆の器類吉瀬コレクション秋のひやおろし(ひと夏すぎて美味しくなったお酒)をのんで頂き、蔵元もうれしそう。
日田の吉瀬コレクションからは、すばらしい浮世絵を100点ほど展示、江戸の芸術は現代の人を魅了した。また、沢山の感謝の気持ちから、山口酒造に伝わる漆の器、お殿様愛用のお弁当箱、古伊万里の器などを展示、女将の山口怜子はパッチワークの新作デザイン展を行った。
 
●浮世絵コレクション100点展示
●山口酒造調度品「漆器」展示
●藍工房(山口怜子主宰)新作パッチワーク展

筑後の土蔵 のご紹介③

10代目・山口尚則は大きな決断を二つした。
一つは酒蔵移転を断念したこと。あまりの被害の大きさに蔵の移転を決断し、甘木市甘水地区(現朝倉市甘完成した新しい蔵水)に土地を確保し酒蔵建設の一歩手前まできたが、どうしても北野町に愛着があり、また、蔵付き酵母や麹のこと、現在の水の状態を総合的に考えてみると、やはり、江戸時代より蔵を構えていた現在の場所が最適ではないかという結論になった。英断であったように思う。

まるまる2年間、蔵元と女将は文字通りどろんこになり、蔵を全て雑巾で拭きあげ改修工事が終わるころには二人そろって倒れる始末。しかし、みんなの願いが叶い、以前にも増して作業性がよく清潔な蔵が1994年に完成した。(移転予定先だった、朝倉市甘水地区は九州名水100選にかぞえられ、そこの水は実際甘く感じる。「甘水(あもうず)の名水」は10代目蔵元・生涯最後の事業として後に日の目を見ることになる。)   

コスモス二つ目は「筑後の土蔵」を秋のイベントにしたこと。もともと、流通過程で劣化する酒を憂い、出来たての酒の美味しさを新酒で味わってほしいという願いから新酒の時期に開催していたが、流通の意識も変り、当初の目的を達成したと判断した。もともと「燗で飲む純米酒」造りを目指す10代目は、新酒の時期よりもお酒がひと夏こし、秋口になり熟成して美味しくなる時期に来場してもらいたいという気持ちから、秋の開催に決めた。10月1日が日本酒の日であることもあり、以来10月1日から3週間程度「筑後の土蔵」展が行われている。

 

 

 

筑後の土蔵 のご紹介②

100年に一度の災いが起こった
超大型台風で屋根は飛び蔵は壊滅・・・
「お酒が仕込めない」杜氏は茫然自失
蔵元は、修復かそれとも酒蔵移転かを迫られた
廃業という選択肢も頭をよぎった     

 

転機(1992-93) 

1992年2月 第六回「筑後の土蔵」展

崩壊した蔵91年秋の台風17号・19号により筑後地方の酒蔵が大打撃を受け、当社も全部の蔵に被害が及び今までの「筑後の土蔵」展での開催は断念。しかし、どうしても新酒を飲みたいという声をいただき、辛うじて被害の少なかった本館(母屋)にて「新酒の会」という小規模なきき酒会のみを開催。少数の熱心なファンの方にかこまれてなんとか開催することができた。あたたかい心からの励ましをいただいた。

 

1993年2月 第七回筑後の土蔵

母屋にて新酒の会ビニールシートで急場を凌いだが、、、蔵はいまだに手つかず。蔵元・山口尚則は、酒造業を継続していくことを決め、ビニールシートで覆った仮設場で酒を仕込み、まずまずの出来栄えに現場の士気は自ずと高まった。

しかし、「次の100年計画」では、作業性や将来の環境汚染の心配、そしてなにより修復費があまりに高額なことを考え、結局は酒蔵を移転しようということになった。現実的な判断であったように思う。移転場所は約1年間九州中を歩き回り、北野町から30分程の場所にある甘木市秋月が水がきれいで気候風土も良いため、移転先には一番よかろうということになり用地を確保した。


93年春には仮設テントなどをつかい、なんとか第7回筑後の土蔵展を開催したが、だれもが最後の筑後の土蔵だとおもって涙した。

 

 

 

 

筑後の土蔵 のご紹介①

いまや恒例となった秋のイベント「筑後の土蔵」展についてご紹介していきます。

いいものは身近にある。お宝は眠っている。

筑後の土蔵(筑後地方の酒蔵)からnipponの逸品を発表していきたい。

日本酒もそんな一つ。

 

草創期(第一回~第四回)

1987年2月 第一回「筑後の土蔵」

1980年代せっかくのお酒は出荷されたあと冷蔵管理をしてもらえず、長い流通段
階で徐々に劣化していき、消費者の口にはいるときにはとんでもないお酒に、、、そ
んなことが日常化していた。「蔵でのむお酒の美味しさを知ってほしい」一念で、第
一回庭のうぐいす蔵開き「筑後の土蔵」展を開催した。

ほんの一部の知人に葉書で知らせた手造りのイベントは、たまたま友人の新聞記者に
よって、ほんの数行紹介された。しかし、当時珍しかった「蔵開き」は話題になりな
んと3日間で2万人が来場し、あまりの賑わいに母屋の床が抜けたほど。

蔵元の想い、蔵で飲む出来立ての新酒を初めて味わっていただくことが出来た。「美
味しい、美味しい、本当に美味しい」の連発に蔵人もにっこり。どれだけ励まされた
ことか。

●     新酒の会を開催、ダルマ会発足。

●     山口怜子のパッチワーク作品を母屋に展示

1988年2月 ~1991年2月 

今でこそ蔵開きは珍しくなくなったが、当時は「酒蔵開放」なるものは殆ど行われて
おらず「酒蔵で酒が飲める」イベントは2年目以降も話題を呼び、酒好きが大挙して
押し寄せる光景はまさに春のお祭りの様相。押すなの大盛況であった。JA北野が全
面的に協力してくれ、農産物は酒蔵を賑わせてくれた。

また女将の山口怜子の発案で「全国パッチワーク公募展」を本館(母屋)にて開催、
「古布パッチワークの発祥の家」として応募作品が土蔵に並び人気投票が行われた。

89年から91年まで、このように新酒の会は続けられ、「筑後の土蔵」展は春のイ
ベントとして地域に定着し、有馬藩ゆかりの調度品や酒造りの道具に熱心に見入る人
も多かった。

●     庭のうぐいす 天満市、新酒の会開催

●     第1回~第4回全国パッチワーク公募展を開催
ダルマ会会長の上瀧さん