とりすぎの一品

お待たせしました。女将の食日記 第1話です。
これから、毎月一つの話づづ、月の終わりの方に書かせていただきます。

納豆の好きな人は納豆が大好きですね。
でも、嫌いな人はみるのも嫌!
好き嫌いがはっきりわかれる食べ物ですね。

大豆は体にとって素晴らしい成分があり、納豆は日本が世界に誇る醗酵食品、健康食品の一つです。

しかしとりすぎは大変。加齢とともに排便、排尿の調整が出来なくなるという悲しい結末。
なんでも食べすぎが一番恐ろしいですね。

豆腐も同じですよ。
毎日毎日食べていると尿パットの親友になるかもしれません。

適量食べると宝になり、食べ過ぎると害が大きいです。
女将が昔、聞いたお話でした。

●大豆にふくまれるイソフラボンは筋肉を弛緩させるので肩こりなどにはいいのですが、食べ過ぎると全身の筋肉がゆるんでしまいお年寄りを困らせます。TVでそこまで説明があればうれしいですね。

山田錦8月26日

重松さん 8月26日まず、小郡市干潟営農集団の重松さんのたんぼ。背丈は90センチ程、先週から20センチも背が伸びました。生育は順調ですが分株の本数が多くすこし心配されていました。もう少しで稲穂が出る感じです。9月4-5日くらいでしょうか。

 

樽海さん 8月26日こちらは完全自然農法で取り組む樽海(たるみ)さんのたんぼ。樽海さんは農薬や肥料を全く使わない農法で取り組まれており、お会いするたびいかに現在の農業が間違っているかを語られます。 

樽海さんの考えは…
そもそも肥料というのは化学肥料にしても有機(オーガニック)にしても収量(農家の売上)を上げるためのもので、本来不要なもの。化学肥料は論外だが有機肥料も動物性の肥料は動物の餌が何なのか不明なので怖くて使えない。自然農法は、一般に収量が悪そうとか草取りが大変だとか思われているけど、収量は5-7俵とれるし草取りは殆どしたことが無い。 なんといっても無肥料の最大の強みは米が美味しいこと。 そして、いろんな経費がかからないのでJAが指導する間違った農業よりも多くの利益が確保でき後継者問題も解決するはず。 だいたい減反政策もしなくてよくなる(今年は47%の田んぼの減反しなくてはいけないとか)。食糧難は目の前なのに政府は何をやっている・・・と、こんな感じでした。 実際、無肥料での山田錦はチッソ分などのタンパク含有量が少なく、良い酒をつくる条件となります。

*これは樽海さんの農法を紹介したもので、肥料を施す農法を否定するものではありません。実際、地力や日照条件、米の品種や水の温度など、圃場ひとつひとつで条件は違うので稲作にマニュアルはないと思いますし、肥料を使った山田錦でもすばらしいものはあります。

ただ、当社は酒造りにおいて、自然農法は間違いなく正しい方向の一つだと考えておりますので今後もこのような方を応援していきたいと思っています。

錬(れん)

看板。マンションの一室です北島克正さんは福岡県古賀市の居酒屋「光太郎」や「柳亭」を経営されています。
「光太郎」や「柳亭」が名店たる所以は予約が一年待ちというからではなく、私は料理の質もさることながら北島さんの料理と日本酒の相性を見る眼力だと思っています。
料理毎に日本酒をマリアージュさせるセンスは日本一という某業界人もいらっしゃいました。 「日本酒が売れれば料理屋はもうからない」とは良く言われますが、北島さんはあえて日本酒を使い、食と日本酒の調和に挑戦する意気込みをお持ちです。 私自身も日本酒は間違いなく世界一の食中酒だと自負しております。

北島さん夫婦

北島さんは「光太郎」開店当初より、庭のうぐいすをずっと料理に合わせていただいていた、いわば当社の盟友ですが、先月「光太郎」を後身に譲り、新たに福岡市中央区に「錬」という飲食店をだされました。錬とは息子・光太郎さんの息子、つまりお孫さんの名前らしいのですが、並々ならぬ意気込みを感じました。

オープンの翌日、当社特約店の住吉酒販(福岡市博多区)の庄島社長からお誘いいただき、蔵元の数社と訪問、美味しい料理に一同舌鼓を打ちました。 さらに次のステージにいかれる感じのお店です。 夜でも4200円から食べられるとか。 美味しいお酒と料理をゆっくり食べたくなったら、お勧めのお店でした。

秋洗い

秋洗いを始めました。秋洗いとは今の時期に(一般的には9月ですが)酒蔵を文字通り洗うように大掃除すること。春先に仕込みが終わると蔵を掃除して一旦蔵を閉めるのですが冬の酒造時期に備え今の時期に道具類を全て磨き上げ異常があれば修理するという昔から続く酒蔵の習慣です。

 当社では最近は8月に秋洗いをするのですが、本来ならは9月の終わり頃でしょうか、夜がひんやりとしてきた時期に、道具類を手入れするのと同時に蔵の柱や梁に「柿渋」を塗ります。この時強烈な臭さが蔵中に漂うのですが、この匂いは次第に薄れていき、なくなるといよいよ酒造りスタートの合図になります。余談ですが、柿渋は不思議なものであれほど臭いのに酒に匂いが移らないばかりではなく、昔は酒の中に入れてオリ下げなどの濾過処理をしていました。(木材の道具に柿渋を塗って手入れをしますが、これは柿渋は防カビ効果がある為。)

 このように秋洗いでは蔵を掃除して乾かす意味合いがありますが、当社ではもうひとつ大切な意味があります。それは、今年の酒造りを一緒に頑張る職人たちの初顔合わせになるのです。昭和の中ごろ前までは、出稼ぎとして農村や漁村から酒蔵にやってきて、半年間一歩も蔵から出ずに酒造りに取組んだものでした。秋洗いはそんな職人たちの今年の初顔合わせ・初仕事になる訳です。

これからも大切にしていきたい酒蔵の習慣でした。

山田錦8月17日

現在70cmくらいの背丈です8月17日の重松さんのたんぼ。背丈は70cmくらい。順調ですが少し分株本数が多く、中干し期間が短かったかと反省しておられました。ここ最近の酷暑により人間には大きな被害が出ておりますが、作物にとっては7月の長雨による日照不足を補うのに丁度良かったと考えるべきだと言われていました。マスコミでは異常気象だと連日報道していますが、自然は誠にバランスよくできていると思いました。

左が無肥料、右が有機質の肥料を40kg/反 入れた田んぼ 実験中。稲は現在、幼穂形成期に入っており、一つの稲株から30本程度の茎が出ており、その内25本くらいから穂がでれば理想的だと言っておられました。あまり分株本数を増やして欲張ると、日照不足の茎が出てきて良い籾が期待できないのです。つまり、欲張らず少ない穂で健康な籾を適量栽培するという理屈。
 いい酒を造るためにと、農家の方々にはいつも大変なご協力をいただいており有り難い限りです。
 

木賊(とくさ)

看板も当時のまま福岡市警固に小さな小料理屋があります。今年77歳になるママを慕い、福岡の著名人や財界人がこっそり通う名店。5-6人も入れば満席の店内は昭和46年創業のままで今日もママの粋な会話で店内は大盛あがり。 お客さんから店の名前の由来を尋ねられると「煮ても焼いても食えんけんたい!」とお決まりの文句。 私がまだ20代の頃、知人から初めてここに連れてこられた時あまりの世界に圧倒され、いつかは私もこのお店で堂々と飲める粋なオジサンになりたいと思ったものでした。

77歳とは思えないつやつやのお肌です先日、久しぶりに店を訪ね日本酒のぬる燗を注文するとそっと当社の特別純米酒(黒ダルマ)を出してくれた。今はこの1種類しかお酒はおいていないのだとか。その理由をママに尋ねると「アンタが美味しそうに飲むけんたい!」 口は悪いけど何故か憎まれず、すべてのお客を気持ちよく帰してくれる、いつまでも続いてほしい名店である。

***お願い***
木賊はママが一人でやられています。もし訪問される場合は、お客さんとしてのマナーにはくれぐれもご注意・ご協力お願いします。

山田錦8月10日

8月10日。ぐんぐん成長します中干しているのでひび割れしています干潟地区の重松さんの田んぼ。前回より随分丈が伸び、健康そうにすくすく育っています。重松さんのヒザ上くらいの背丈になりました。 現在、中干しして4日目で、田んぼには水が入っていませんが、稲はしっかり成長しています。分株(ぶんけつ)した茎の本数をこれ以上増やさず、稲は充実期に入ります。

樽海さんの田んぼこちらは樽海(たるみ)さんの田んぼ。樽海さんは、完全自然農法で山田錦を栽培しているベテランの農家さん。肥料はもちろん農薬も一切使用せず、独自の栽培理論をお持ちの農家の方です。樽海さん理論では肥料を全くあげないのやりかただと茎の本数がもともと少ないので(あまり分株しない)、中干しせずに水は入れっぱなしが丁度いいという考えです。こちらは水を抜かずに水がひたひたの状態。樽海さんの山田錦は収量こそすくないものの素晴らしいものを造られます。樽海さんはポット苗で育苗し根を深くはらせ稲が力強い感じをうけます。無効分株(むこうぶんけつ)が無く、全ての茎から穂がでるそうです。

甘水の名水TV紹介

福岡ローカルのTNC(テレビ西日本)の番組で「ももち浜ストア」という朝の情報番組があります。
8月14日にももち浜ストアで「甘水の名水」が紹介されます。是非ご覧下さい。

甘水(あもうず)の名水

10代目山口尚則の生涯最後の事業となった「甘水の銘水」。
僅か50世帯が暮らす福岡県朝倉市甘水地区の入り口にこの水汲み場はある。

貯蔵蔵九州名水100撰にあげられるこの場所を当社が確保したのは平成5年(1993年)のこと。1991年の台風で蔵が壊滅状態になったとき、あまりの打撃に蔵の修復は無理と判断、この際蔵を移転しようということになった。移転先として約2年間九州各地を探し回り、水がきれいで気候が良く、蔵のレイアウトその他全てに理想的な土地が、甘水地区であった。山田錦栽培をお願いしている農家・山崎さんたちもこの頃からのお付き合い。

その昔、遣唐使・最澄がこの地に立寄り、飲んだ水を「甘い」と讃えたことが「甘水(あもうず)」という地名の由来になっている。実際、この水を飲むと無味無臭でとろりとやわらかく、甘く感じる。化学的な分析をすると酒造りには理想的な成分であり、もちろん生活用水としても優れ、現在も水質汚濁とは全く縁のなさそうな場所である。

同じ朝倉市内でも甘水の水の美味しさは評判で、あるお年寄りが「あそこは昔から水がおいしいと言われてた」と話すのを偶然耳にしたことがある。

 10代目・尚則は心底甘水に惚れ込み一旦は酒蔵の移転を覚悟して準備を進めたものの、移転準備を進めていくうちに現在の場所(北野町)の良さを改めて認識するようになり、その内本当に移転がいい事なのか「迷いに迷った」とか。 そして考え抜いた結果、作業性や経費面など多少の犠牲を払っても江戸時代から構えた北野町の酒造りを続けるべきだとという結論に至った。工場の図面まで出来ていた段階で全てをあきらめるのは勇気の要ったことであったと思うが、今考えると随分な英断だったように思う。

 移転断念後は本格的に北野の蔵の改修工事が始まり北野の酒蔵は活気を取り戻したが、甘水の土地はいつのまにか人があまり行かなくなり雑草も生え放題になる始末。甘水の人には大変なご迷惑をおかけした。

水汲み場10代目はそんな中にもどうにか甘水の素晴らしさを一般の方に知らせる方法はないのか常々考えていた。毎年毎年色んな活用案が出ては消え、例えば山口酒造第二工場や甘酒蔵、そして、販売所や貯蔵蔵などいろんな案がでたがどれもピンとこない。試行錯誤すること7-8年、10代目がポツリと「水汲み場(販売場)として一般に開放してはどうか?」と言ったところ、関係者一同「それは名案だということになり、早速2003年秋から準備にとりかかった。 

水汲み場は10代目の希望でかやぶき屋根にすることにし、製作には吉野ヶ里遺跡を復活させたスタッフに縁が出来、彼らが参加してくれた。そして2004年4月水汲み場はついに完成し、一応の区切りをつけ誰でも水を汲みにこれる現在の姿になった。
10代目がなくなるわずか半年前である。

この「甘水の水汲み場」は秋月から車で約5分、国道からすこし入った場所にある。開店当初は人影もまばらだったものの、やはり水が美味しいからだろうか、現在は土日にはひっきりなしに水を汲みに来るお客さんで賑わっている。この光景を10代目にみせてあげたかった。そんな想いで一杯である。

いきいき

いきいき9月号「いきいき」という雑誌をご存知でしょうか。定期購読者向けに発刊している人気月刊誌で部数43万部は現在日本一だそうです。その9月号のお取り寄せ企画で当社の甘酒と梅酒のセットが数量限定になりますが、販売されます。編集長の片寄さんが別件で当社にこられ、たまたま甘酒と梅酒を口にされたところ味をとても気に入っていただき急遽「編集長のおすすめ あんまりにおいしいから、分けてもらいました」という異例の形の記事になりました(掲載は別録の「ふくふく」です)。 お申込は、同社酒類専用受付(通話料無料)00777-8-1223へ。1ページの特集になりました