のみ切り

のみきりの様子最近は「出荷管理指導」といいますが、今後の貯蔵管理の方針を決めるために、夏場に蔵内の酒を利き酒をすることを「のみ切り」といいます。昔、桶の飲み口を切ったことに由来します。

今日は約40種類の貯蔵中の在庫の封を空け、「のみ切り」を行いました。

今年から山口酒造場では春先にアルコール分を調整して、すべて「製品」として貯蔵することにしました。瓶貯蔵やタンク貯蔵は瓶詰め時に2度目の火入れを行わなければならず、火入れは劇的に酒に変化をもたらすので、あえて全量一回火入れに挑戦することにしました。

いまのところ、順調に熟成が進んでいます。
春先若すぎた酒には膨らみが出てきているし、春先から飲み頃を迎えていた酒もダレずに品質が維持出来ていました。

製造部と営業部が正々堂々といい議論ができた一日でした。

蔵元日記6月

新緑が深まり、入梅前の爽やかな風が印象的です。

静かな蔵とは対照的に、種まきを終えた農家では芽を出し始めた稲の手入れに余念がなく、田植えにむけて忙しくなっています。

昔から田植えとは神聖なもので、田植え前には乙女が一日みそぎをし、翌日の早朝から腰に赤い布だけを纏い田植えを行う神事を行っていたのは、筑後地方だけでしょうか?(みそぎが終わった乙女を早乙女と呼んだらしい)

尊い田植えが始まる前には、蔵でもお供えをして今年の米つくりが無事に行えるように神様に願います。

お供え(早苗、魚、酒をしつらえます)

山口酒造場では酒造りのもっとも重要なエッセンスは米だと考えています。
大自然に対して酒蔵として無力に近いのですが、稲が健康に育ってくれるように絶え間なく努力をしていくことが大切だと思っています。

お供え

ps赤い布と絞り布は昔の名残です。
  絞り布はいろいろ種類がありますが、室礼では伊勢木綿ときまっているようです。

梅酒「うぐいすとまり」 粕取りしょうちゅう

当社は、梅酒の原料に粕取りしょうちゅうを選びました。粕取り焼酎とは米焼酎の一種で原料に酒粕を使います。香りがよく味に奥行きがありコクが強いので新酒はとても飲みにくいのですが、熟成したまろやかな味には独特の味わいがあります。

CIMG3871.JPG 昔から「梅酒は粕取り焼酎につけるのが本当は一番美味しいんだけど、、、」といわれていました。粕取り焼酎でつけた梅酒はとても美味しいんだけど、粕取り焼酎自体が高価なものでしかも、モノ不足の時代に「熟成を待つ」というのは庶民では考えられないことでした。当社では粕取り焼酎をじっくりねかせること1年、ようやく梅酒を仕込み独特のとろみが出るのをじっくりまちます。そして待つこと2年、漸く「極上」の名に恥じない他の原料では絶対に出ないとろみと旨みが凝縮されます。「うぐいすとまり」は日本酒の酒蔵だからこそ出来る贅沢な製法で作っています。

うぐいすとまりが、酸味たっぷりでコクがあるのは、そんな大粒の梅をふんだんに使い粕取り焼酎を原料としているからでした。矢幡治美の夢はまだまだ続きます。

梅酒「うぐいすとまり」 矢幡治美の夢

大山町役場兼農協その昔30余年間にわたり大分県大山町町長兼農協長として一村一品運動や高次元農業などを提唱し「ウメ・クリ植えてハワイへ行こう!」と村民を励まし貧しい村を一変させた伝説の人、矢幡治美(やはたはるみ)。大山町は現在でもパスポート保有率全国1位など、なにかにつけ話題に上る世界的に有名な「ムラ」になりました。
http://www.oyama-nk.com/
(大山町農協のホームページをご覧ください)
梅の実この「農業の神様」とされた彼も実はもともと造り酒屋の出身で、大山町の梅を使い極上の梅酒を造る夢を持ち続けていました。その夢は生涯叶わなかったものの、夢は娘・怜子の嫁ぎ先・山口酒造場に引継がれ孫にあたる11代蔵元・山口哲生が祖父が植えた梅の中からよい梅だけを選び梅酒を造るということが実現しました。祖父の夢が孫によってかなえられた瞬間でした。治美が病床でつぶやいた一言「わしは長年種をまき夢を追った。一つだけ願いが叶うとしたら実が成った姿を見てみたかった。」とは、娘に言った一言。晩年は全国の農産地を指導して廻り、念願のレストラン「木の花ガルテン(大山町農協経営)」も福岡市でも大成功を収めていた時、果たして病床で治美が言った「実り」とはどんなものだったのだろうか。

「竹」の話

「竹」はアジアにしか繁殖していない不思議な植物で、海外ではジャパネスクの格好良さを現すアイテムでもあります。
最近では、東京ミットタウンや東京ペニンシュラにも竹を使ったデザインが採用されていたのも印象的でした。

切り出された青竹

一日に3メートルも伸びる若竹。
毎年、2%も面積を拡大する親竹。
山は荒れ放題。放置林…
竹は現在、「有害木」として政府や山村のお年寄りを苦しめており、海外では憧れの「竹」も国内では問題児というところであろうか

しかし、当社は最近「竹」の可能性に注目しています。

若竹には竹にしかない成長ホルモンが20種類以上あるらしい。
切っても切っても翌年にはニョキニョキとまた生えてくるその生命力。
竹は浄化作用があり、糖分も豊富、竹は燃やしてもCO2を排出しないのも魅力

ごみは燃やすしかない

何か出来るはずである。
むしろ竹は「資源」ではないのだろうか。
竹の成長ホルモンを他に転用できないか。
クリーンエネルギーにはならないか。
竹はほぼ無尽蔵に手に入る。
何よりも、糖質が豊富ということは……!
竹を粉砕してチップにしたもの

山口酒造場はnipponの底力を感じています。
「竹」の話は随時ゆっくりとご紹介していきます。

 

山田錦10月17日

かけ干し

自然農法で取組む樽海さんの稲刈りが16日に終わりました。ご苦労なことに今年も手刈りです。昔懐かしい「かけ干し」が行われており、約1週間かけて乾燥させます。

すこやかな稲

この自然乾燥、いわゆる天日干しというのは米の食味を高めるので、天日干しのコメは本当に美味しい米になります。現代ではそんな面倒なことをせず、大半がJAの大型カントリーで熱風により機械乾燥されていますが、JAの主導する農業を知るたびにがっかりさせられます。

地割れしています

コメが「まだ」と言っているのにカントリーの順番に合わせて未熟米が収穫されてしまう現実、一旦カントリーに入れればあとは農家は知らんぷり、コメの出来栄えに関係なくJAが買い取ってくれ実際の販売はJAがやってくれる現実、これでは栽培に力が入らないのは当然でしょう。

結果JAだけが儲かるしくみで、所得が上がらない農家に後継者はおらず農業は衰退の一途。日本の食料自給率は40%を切り、国力も危ぶまれています。日本にはまだまだ美しい自然が沢山あるのに、残念。

(お金で安く食料が買える時代はそろそろ終わろうとしていると個人的には思うのですが、農家の方は今自信をなくされています。もうすこし1次産業の人が豊かになる方法はないのでしょうか。話をしているとこちらが心が洗われるような純粋で素晴らしいかたばかりです。)

見事な黄金色

それにしても樽海さんの田んぼは黄金色に輝いており、本当に美しかった。
肥料を全く施さず間隔を広くあけて栽培し、分株本数も15-18本とすくなく自然の力だけで成長した稲、戦前では当たり前の光景でしたが、今はこんな農家さんは「変人」扱いされる現代です。

上原先生(右)と先代 

昨年亡くなられた上原浩先生から「戦前の自然乾燥した米を原料にした酒造りと、いまの酒造りとは、根本的に醸造理論が違う」と聞いたことがあります。

当時は、よく理解できず「ふ~ん」くらいしか聞いていなかったのですが、今思うと、先生は何といいたかったのか。

これも昔話ですが、今年亡くなられた永谷先生から「山田錦の玄米おにぎりは美味しいぞ!!」と教えてもらったこともありました。酒米は食べても美味しくないとは業界の常識なので、すこし驚いたことを覚えています。

昨日は樽海さんの「山田錦玄米おにぎり」を一緒に食べましょうと約束をして帰ってきました。週末あたり楽しみです。

収穫の時期 乾燥は一週間

肝心の山田錦は、思ったより小粒でしたが心白がしっかり中心に入り見事なもの。今からコメの分析をしていきますが多分間違いない品質でしょう。 

余談ですが、山田錦にしては随分背丈が短い気がしたので何故かと尋ねてみると、肥料をあげなかったら毎年すこしずつ背が縮んできたとか。

山田錦の特徴の一つ、背丈が高い(=栽培しにくい)というのは肥料のせいだったのだろうか?

コメ造り…分からないことばかりです。終わりのない挑戦は続きます。

山田錦8月26日

重松さん 8月26日まず、小郡市干潟営農集団の重松さんのたんぼ。背丈は90センチ程、先週から20センチも背が伸びました。生育は順調ですが分株の本数が多くすこし心配されていました。もう少しで稲穂が出る感じです。9月4-5日くらいでしょうか。

 

樽海さん 8月26日こちらは完全自然農法で取り組む樽海(たるみ)さんのたんぼ。樽海さんは農薬や肥料を全く使わない農法で取り組まれており、お会いするたびいかに現在の農業が間違っているかを語られます。 

樽海さんの考えは…
そもそも肥料というのは化学肥料にしても有機(オーガニック)にしても収量(農家の売上)を上げるためのもので、本来不要なもの。化学肥料は論外だが有機肥料も動物性の肥料は動物の餌が何なのか不明なので怖くて使えない。自然農法は、一般に収量が悪そうとか草取りが大変だとか思われているけど、収量は5-7俵とれるし草取りは殆どしたことが無い。 なんといっても無肥料の最大の強みは米が美味しいこと。 そして、いろんな経費がかからないのでJAが指導する間違った農業よりも多くの利益が確保でき後継者問題も解決するはず。 だいたい減反政策もしなくてよくなる(今年は47%の田んぼの減反しなくてはいけないとか)。食糧難は目の前なのに政府は何をやっている・・・と、こんな感じでした。 実際、無肥料での山田錦はチッソ分などのタンパク含有量が少なく、良い酒をつくる条件となります。

*これは樽海さんの農法を紹介したもので、肥料を施す農法を否定するものではありません。実際、地力や日照条件、米の品種や水の温度など、圃場ひとつひとつで条件は違うので稲作にマニュアルはないと思いますし、肥料を使った山田錦でもすばらしいものはあります。

ただ、当社は酒造りにおいて、自然農法は間違いなく正しい方向の一つだと考えておりますので今後もこのような方を応援していきたいと思っています。

秋洗い

秋洗いを始めました。秋洗いとは今の時期に(一般的には9月ですが)酒蔵を文字通り洗うように大掃除すること。春先に仕込みが終わると蔵を掃除して一旦蔵を閉めるのですが冬の酒造時期に備え今の時期に道具類を全て磨き上げ異常があれば修理するという昔から続く酒蔵の習慣です。

 当社では最近は8月に秋洗いをするのですが、本来ならは9月の終わり頃でしょうか、夜がひんやりとしてきた時期に、道具類を手入れするのと同時に蔵の柱や梁に「柿渋」を塗ります。この時強烈な臭さが蔵中に漂うのですが、この匂いは次第に薄れていき、なくなるといよいよ酒造りスタートの合図になります。余談ですが、柿渋は不思議なものであれほど臭いのに酒に匂いが移らないばかりではなく、昔は酒の中に入れてオリ下げなどの濾過処理をしていました。(木材の道具に柿渋を塗って手入れをしますが、これは柿渋は防カビ効果がある為。)

 このように秋洗いでは蔵を掃除して乾かす意味合いがありますが、当社ではもうひとつ大切な意味があります。それは、今年の酒造りを一緒に頑張る職人たちの初顔合わせになるのです。昭和の中ごろ前までは、出稼ぎとして農村や漁村から酒蔵にやってきて、半年間一歩も蔵から出ずに酒造りに取組んだものでした。秋洗いはそんな職人たちの今年の初顔合わせ・初仕事になる訳です。

これからも大切にしていきたい酒蔵の習慣でした。

甘水(あもうず)の名水

10代目山口尚則の生涯最後の事業となった「甘水の銘水」。
僅か50世帯が暮らす福岡県朝倉市甘水地区の入り口にこの水汲み場はある。

貯蔵蔵九州名水100撰にあげられるこの場所を当社が確保したのは平成5年(1993年)のこと。1991年の台風で蔵が壊滅状態になったとき、あまりの打撃に蔵の修復は無理と判断、この際蔵を移転しようということになった。移転先として約2年間九州各地を探し回り、水がきれいで気候が良く、蔵のレイアウトその他全てに理想的な土地が、甘水地区であった。山田錦栽培をお願いしている農家・山崎さんたちもこの頃からのお付き合い。

その昔、遣唐使・最澄がこの地に立寄り、飲んだ水を「甘い」と讃えたことが「甘水(あもうず)」という地名の由来になっている。実際、この水を飲むと無味無臭でとろりとやわらかく、甘く感じる。化学的な分析をすると酒造りには理想的な成分であり、もちろん生活用水としても優れ、現在も水質汚濁とは全く縁のなさそうな場所である。

同じ朝倉市内でも甘水の水の美味しさは評判で、あるお年寄りが「あそこは昔から水がおいしいと言われてた」と話すのを偶然耳にしたことがある。

 10代目・尚則は心底甘水に惚れ込み一旦は酒蔵の移転を覚悟して準備を進めたものの、移転準備を進めていくうちに現在の場所(北野町)の良さを改めて認識するようになり、その内本当に移転がいい事なのか「迷いに迷った」とか。 そして考え抜いた結果、作業性や経費面など多少の犠牲を払っても江戸時代から構えた北野町の酒造りを続けるべきだとという結論に至った。工場の図面まで出来ていた段階で全てをあきらめるのは勇気の要ったことであったと思うが、今考えると随分な英断だったように思う。

 移転断念後は本格的に北野の蔵の改修工事が始まり北野の酒蔵は活気を取り戻したが、甘水の土地はいつのまにか人があまり行かなくなり雑草も生え放題になる始末。甘水の人には大変なご迷惑をおかけした。

水汲み場10代目はそんな中にもどうにか甘水の素晴らしさを一般の方に知らせる方法はないのか常々考えていた。毎年毎年色んな活用案が出ては消え、例えば山口酒造第二工場や甘酒蔵、そして、販売所や貯蔵蔵などいろんな案がでたがどれもピンとこない。試行錯誤すること7-8年、10代目がポツリと「水汲み場(販売場)として一般に開放してはどうか?」と言ったところ、関係者一同「それは名案だということになり、早速2003年秋から準備にとりかかった。 

水汲み場は10代目の希望でかやぶき屋根にすることにし、製作には吉野ヶ里遺跡を復活させたスタッフに縁が出来、彼らが参加してくれた。そして2004年4月水汲み場はついに完成し、一応の区切りをつけ誰でも水を汲みにこれる現在の姿になった。
10代目がなくなるわずか半年前である。

この「甘水の水汲み場」は秋月から車で約5分、国道からすこし入った場所にある。開店当初は人影もまばらだったものの、やはり水が美味しいからだろうか、現在は土日にはひっきりなしに水を汲みに来るお客さんで賑わっている。この光景を10代目にみせてあげたかった。そんな想いで一杯である。

(有)食工房 地蔵原

(有)食工房地蔵原(しょくこうぼうじぞうばる)という、山口酒造場の食に対する想いがたくさん詰まった会社があります。そもそも、女将の山口怜子が農薬だらけの米を憂い約20年前に無農薬の山田錦を栽培することから始まった「食」への取組み。

http://jizobaru.com

ホームページをご紹介しますのでどうぞご覧下さい。 domain austin movie theater