甘水(あもうず)の名水

10代目山口尚則の生涯最後の事業となった「甘水の銘水」。
僅か50世帯が暮らす福岡県朝倉市甘水地区の入り口にこの水汲み場はある。

貯蔵蔵九州名水100撰にあげられるこの場所を当社が確保したのは平成5年(1993年)のこと。1991年の台風で蔵が壊滅状態になったとき、あまりの打撃に蔵の修復は無理と判断、この際蔵を移転しようということになった。移転先として約2年間九州各地を探し回り、水がきれいで気候が良く、蔵のレイアウトその他全てに理想的な土地が、甘水地区であった。山田錦栽培をお願いしている農家・山崎さんたちもこの頃からのお付き合い。

その昔、遣唐使・最澄がこの地に立寄り、飲んだ水を「甘い」と讃えたことが「甘水(あもうず)」という地名の由来になっている。実際、この水を飲むと無味無臭でとろりとやわらかく、甘く感じる。化学的な分析をすると酒造りには理想的な成分であり、もちろん生活用水としても優れ、現在も水質汚濁とは全く縁のなさそうな場所である。

同じ朝倉市内でも甘水の水の美味しさは評判で、あるお年寄りが「あそこは昔から水がおいしいと言われてた」と話すのを偶然耳にしたことがある。

 10代目・尚則は心底甘水に惚れ込み一旦は酒蔵の移転を覚悟して準備を進めたものの、移転準備を進めていくうちに現在の場所(北野町)の良さを改めて認識するようになり、その内本当に移転がいい事なのか「迷いに迷った」とか。 そして考え抜いた結果、作業性や経費面など多少の犠牲を払っても江戸時代から構えた北野町の酒造りを続けるべきだとという結論に至った。工場の図面まで出来ていた段階で全てをあきらめるのは勇気の要ったことであったと思うが、今考えると随分な英断だったように思う。

 移転断念後は本格的に北野の蔵の改修工事が始まり北野の酒蔵は活気を取り戻したが、甘水の土地はいつのまにか人があまり行かなくなり雑草も生え放題になる始末。甘水の人には大変なご迷惑をおかけした。

水汲み場10代目はそんな中にもどうにか甘水の素晴らしさを一般の方に知らせる方法はないのか常々考えていた。毎年毎年色んな活用案が出ては消え、例えば山口酒造第二工場や甘酒蔵、そして、販売所や貯蔵蔵などいろんな案がでたがどれもピンとこない。試行錯誤すること7-8年、10代目がポツリと「水汲み場(販売場)として一般に開放してはどうか?」と言ったところ、関係者一同「それは名案だということになり、早速2003年秋から準備にとりかかった。 

水汲み場は10代目の希望でかやぶき屋根にすることにし、製作には吉野ヶ里遺跡を復活させたスタッフに縁が出来、彼らが参加してくれた。そして2004年4月水汲み場はついに完成し、一応の区切りをつけ誰でも水を汲みにこれる現在の姿になった。
10代目がなくなるわずか半年前である。

この「甘水の水汲み場」は秋月から車で約5分、国道からすこし入った場所にある。開店当初は人影もまばらだったものの、やはり水が美味しいからだろうか、現在は土日にはひっきりなしに水を汲みに来るお客さんで賑わっている。この光景を10代目にみせてあげたかった。そんな想いで一杯である。