筑後の土蔵 のご紹介①

いいものは身近にある。
お宝は眠っているもの。
筑後地方の酒蔵(筑後の土蔵)からnipponの逸品を発表していきたい。
日本酒もそんなもののひとつ。
     

 

いまや、秋の恒例のイベントとなった「筑後の土蔵」展について順次ご紹介していきます。 

 

草創期(1987-91) 
1987年2月 第一回「筑後の土蔵」展      

約2万人が来場1980年代せっかくのお酒は出荷されたあと冷蔵管理をしてもらえず、長い流通段階で徐々に劣化していき、消費者の口にはいるときにはとんでもないお酒に、、、そんなことが日常化していた。「蔵でのむお酒の美味しさを知ってほしい」という山口尚則の一念で、第一回庭のうぐいす蔵開き「筑後の土蔵」展が開催された。

母屋内の酒売場ほんの一部の知人に葉書で知らせた手造りのイベントは、たまたま友人の新聞記者によって、ほんの数行紙面で紹介された。しかし、当時珍しかった「蔵開き」は話題になりなんと1日で5千人が来場し、あまりの賑わいに母屋の床が抜けたほどであった。     

 

技術顧問の行本先生も楽しそう蔵元の想い、蔵で飲む出来立ての新酒の味を初めて一般の方に味わっていただくことが出来た。「美味しい、美味しい、本当に美味しい!」の連発に蔵人もにっこり。どれだけ励まされたことか。

●新酒の会を開催、ダルマ会発足。
山口怜子のパッチワーク作品を母屋に展示


1988年2月 ~1991年2月
 

多くのお客さんで賑わう今でこそ蔵開きは珍しくなくなったが、当時は「酒蔵開放」なるものは殆ど行われておらず「酒蔵で酒が飲める」イベントは2年目以降も話題を呼び、酒好きが大挙して押し寄せる光景はまさに春のお祭りの様相。押すな押すなの大盛況であった。JA北野が全面的に協力してくれ、農産物は酒蔵を賑わせてくれた。    

 

有馬藩の調度品を展示また女将の山口怜子の発案で「全国パッチワーク公募展」を本館(母屋)にて開催、「古布パッチワークの発祥の家」として応募作品が土蔵に並び人気投票が行われた。89年から91年まで、このように新酒の会は続けられ、「筑後の土蔵」展は春のイベントとして地域に定着し、有馬藩ゆかりの調度品や酒造りの道具に熱心に見入る人も多かった。


●庭のうぐいす 天満市、新酒の会開催
第1回~第4回全国パッチワーク公募展を開催