その昔30余年間にわたり大分県大山町町長兼農協長として一村一品運動や高次元農業などを提唱し「ウメ・クリ植えてハワイへ行こう!」と村民を励まし貧しい村を一変させた伝説の人、矢幡治美(やはたはるみ)。大山町は現在でもパスポート保有率全国1位など、なにかにつけ話題に上る世界的に有名な「ムラ」になりました。
(http://www.oyama-nk.com/)
(大山町農協のホームページをご覧ください)
この「農業の神様」とされた彼も実はもともと造り酒屋の出身で、大山町の梅を使い極上の梅酒を造る夢を持ち続けていました。その夢は生涯叶わなかったものの、夢は娘・怜子の嫁ぎ先・山口酒造場に引継がれ孫にあたる11代蔵元・山口哲生が祖父が植えた梅の中からよい梅だけを選び梅酒を造るということが実現しました。祖父の夢が孫によってかなえられた瞬間でした。治美が病床でつぶやいた一言「わしは長年種をまき夢を追った。一つだけ願いが叶うとしたら実が成った姿を見てみたかった。」とは、娘に言った一言。晩年は全国の農産地を指導して廻り、念願のレストラン「木の花ガルテン(大山町農協経営)」も福岡市でも大成功を収めていた時、果たして病床で治美が言った「実り」とはどんなものだったのだろうか。