筑後の土蔵 のご紹介③

10代目・山口尚則は大きな決断を二つした。
一つは酒蔵移転を断念したこと。あまりの被害の大きさに蔵の移転を決断し、甘木市甘水地区(現朝倉市甘完成した新しい蔵水)に土地を確保し酒蔵建設の一歩手前まできたが、どうしても北野町に愛着があり、また、蔵付き酵母や麹のこと、現在の水の状態を総合的に考えてみると、やはり、江戸時代より蔵を構えていた現在の場所が最適ではないかという結論になった。英断であったように思う。

まるまる2年間、蔵元と女将は文字通りどろんこになり、蔵を全て雑巾で拭きあげ改修工事が終わるころには二人そろって倒れる始末。しかし、みんなの願いが叶い、以前にも増して作業性がよく清潔な蔵が1994年に完成した。(移転予定先だった、朝倉市甘水地区は九州名水100選にかぞえられ、そこの水は実際甘く感じる。「甘水(あもうず)の名水」は10代目蔵元・生涯最後の事業として後に日の目を見ることになる。)   

コスモス二つ目は「筑後の土蔵」を秋のイベントにしたこと。もともと、流通過程で劣化する酒を憂い、出来たての酒の美味しさを新酒で味わってほしいという願いから新酒の時期に開催していたが、流通の意識も変り、当初の目的を達成したと判断した。もともと「燗で飲む純米酒」造りを目指す10代目は、新酒の時期よりもお酒がひと夏こし、秋口になり熟成して美味しくなる時期に来場してもらいたいという気持ちから、秋の開催に決めた。10月1日が日本酒の日であることもあり、以来10月1日から3週間程度「筑後の土蔵」展が行われている。