筑後の土蔵 のご紹介②

100年に一度の災いが起こった
超大型台風で屋根は飛び蔵は壊滅・・・
「お酒が仕込めない」杜氏は茫然自失
蔵元は、修復かそれとも酒蔵移転かを迫られた
廃業という選択肢も頭をよぎった     

 

転機(1992-93) 

1992年2月 第六回「筑後の土蔵」展

崩壊した蔵91年秋の台風17号・19号により筑後地方の酒蔵が大打撃を受け、当社も全部の蔵に被害が及び今までの「筑後の土蔵」展での開催は断念。しかし、どうしても新酒を飲みたいという声をいただき、辛うじて被害の少なかった本館(母屋)にて「新酒の会」という小規模なきき酒会のみを開催。少数の熱心なファンの方にかこまれてなんとか開催することができた。あたたかい心からの励ましをいただいた。

 

1993年2月 第七回筑後の土蔵

母屋にて新酒の会ビニールシートで急場を凌いだが、、、蔵はいまだに手つかず。蔵元・山口尚則は、酒造業を継続していくことを決め、ビニールシートで覆った仮設場で酒を仕込み、まずまずの出来栄えに現場の士気は自ずと高まった。

しかし、「次の100年計画」では、作業性や将来の環境汚染の心配、そしてなにより修復費があまりに高額なことを考え、結局は酒蔵を移転しようということになった。現実的な判断であったように思う。移転場所は約1年間九州中を歩き回り、北野町から30分程の場所にある甘木市秋月が水がきれいで気候風土も良いため、移転先には一番よかろうということになり用地を確保した。


93年春には仮設テントなどをつかい、なんとか第7回筑後の土蔵展を開催したが、だれもが最後の筑後の土蔵だとおもって涙した。